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普通に日記

対話と暴力 2022/4/18

お昼に中華屋さんへ行ったら案内してくれた店員がわたしと全く同じマスクをしてて、たぶん向こうも心の中で「同じマスクだ……」と思ったはず。目が合った瞬間、時が止まったようでおもしろかった。

 

今日はめちゃくちゃに仕事をがんばり、不屈の精神で残業は1時間に抑えた。

 

帰り道にまた『コミュニケーションの社会学』を読む。易しくかつ読ませてくる文章で止まらないぜ。最寄り駅に着いて、きりがいいところまでベンチに座って読んでいた。

 

”子どものケンカなどをみていると、たいてい口ゲンカから始まって、言い負かされたほうが先に手を出すことで本格的なケンカに発展する。反論の言葉を失った側が暴力に訴えるという形である。これを、対話というコミュニケーションが暴力によって破壊されるとみることはたやすい。しかし、一概にそうとばかりは言いきれない面があることもまた事実であろう。言い負かされた子どもの暴力的な反応のなかには、しばしば、うまく言葉にできなかったメッセージが含まれているように思われるからである。とすれば、この子は対話(コミュニケーション)を破壊しているというより、むしろ別の形で続けようとしているとみることもできる。”(90頁)

 

考えたことなかった。泣いちゃうよ。

 

対話の暴力性について、菅季治の自死をめぐる事件を紹介していて、知らない事件だったのだけどつらかった。説明が苦手なので同じく知らない人はぐぐってくれよな。友人へ宛てた手紙がしんどい。

 

”「あの事件で、わたしはどんな政治的立場にもかかわらないで、ただ事実を事実として明らかにしようとした。しかし政治の方ではわたしのそんな生き方を許さない。わたしは、ただ一つの事実をさえ守り通し得ぬ自分の弱さ、愚さに絶望して死ぬ」”

”菅が鉄道自殺を遂げたとき、その上着の内ポケットには岩波文庫プラトンソクラテスの弁明』が入っていたという。”

 

美しさを見出しちゃだめなんだけど、まっすぐできれいでしんどくなった。死ぬことないよ……思うけど、あの時代には死んだほうがましな状況があったのかもしれない。わかってないだけで、今も同じようなことが起きれば死んだほうが良いと思うのかもしれない。権力を持つ者たちの思惑により対話が歪められ、自分がなくなってしまったとしたら。全然、今でもありそうだよね。斑目法律事務所の深山さんになんとかしてもらうしかない。

 

ディスコミュニケーションという言葉を作った鶴見俊輔ウィキペディア読んでたら、幼少期に万引き集団を作ったり、うつ病のため自殺未遂を繰り返したり、高校退学になったり、かと思えばハーバード大学に進学したり、ずっとうつ病に悩まされていたようだけど93歳まで生きた。哲学やってる人、長生きしてくれって思うから、せめて自殺はやめてくれって思うから、長生きしててよかった。知りたい人間が増えた。

 

昨日は「もう知るべきことなど何もない……」思ってたけど、やっぱり知らないことは知りたいって思いました。『コミュニケーションの社会学』、読むつもり全くなかったけど手にとって、読んでみて良かった。あと10章ある。うれしい。

たぶんこれは学生が読んだほうが良い本だとは思うので、学生の君は図書館で借りてみよう。