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普通に日記

物語が好きでよかった 2022/4/17

昨日19時すぎに布団入って8時に起きた。寝すぎ。

 

10時から整体行って、毎週行ってたんだけど次回から7〜10日に一回のお許しが出た。改善されてるっぽいぞ。

昨日からスクワットを始めて、はちゃめちゃに太ももが筋肉痛で、いつも整体では首・肩をごりごりやられてるんだけど、今日は太ももをごりごりされてめちゃくちゃ痛かった。「ウオ〜〜」とか言いながら耐えていたんだけど、あるとき痛すぎて「やめてくれ〜〜」って叫んでしまった。整体師は笑って「筋肉の声ですね!」って言ってごりごり続けてた。そう、筋肉の声です……。

なんでかわからないけど弱ペダの話になって、整体師に「泉田みたいに筋肉と会話する気持ちわかりますか」聞いたら、「わかりません」とのこと。そう……。

小毬くんの気持ちも聞けば良かった。

 

整体後はドトールで読書。図書館で借りていた『コミュニケーションの社会学』を読んでちょっと泣く。

”これらのスケッチは、一方で「コミュニケーション」が大事で繊細なまでにそれを求めながら、他方「コミュニケーション」がつらくて仕方ないという姿を示している。あなたもそうした世界にいるだろうか。”(26頁)

読者全体でなく、読んでいるわたし個人に向けて語られるのに弱い。あと、今日読んでたのは2〜3章で、1章と書いている人は違ったのだけど、この人も( )で自分の意見を補足してておもしろかった。( )で自分の意見補足する人好き。恋愛ゲームのひとつ、コケットリについて”(すごく楽しいよね!)”(36頁)と言っててめちゃめちゃ笑った。

 

”携帯電話はメッセージの内容で繋がるのではなく、返信=接続されることそのものが関係性を可能にする。どんな正しいメッセージでも接続されなければ終わりだ。いや、きみが最初に話してくれた「やさしさコミュニケーション」は、すべて「接続」によって作られている(だけな)のではないか。コミュニケーションは「複数の人びとのおこなう選択の間の対称的な関係」である。接続に接続がなされ、コミュニケーションはフラットに続き、これにより社会は生成し続ける。”(61頁)

”受け手の「理解」によってコミュニケーションが成立し、次のコミュニケーションに接続する。送り手中心の「移転メタファー」や「コミュニケーション的行為」に対し、ある自由をこの見方は生み出すだろう。だがこの見方が支配する世界で送り手の側はどうすればよいのか。受け手はブラック・ボックスだと腹をくくることもできる。しかしこれから送り出すメッセージを、受け手にその次のメッセージへ「接続」してもらうことを必死で考えることになるのではないか。もし私のメッセージがその次へと接続されなかったら。”(63頁)

 

既読スルーの「既読」の文字だけがわたしと元彼のコミュニケーションである。こわい。

 

帰り道に本屋をぶらつく。ほぼ毎週行ってるけど、毎週陳列されてる本がちょっとずつ変わっている。もう知るべきことも考えるべきこともないと思うのになぜこんなに本を出したいのだろう、などと思いながら歩いてたら、『進撃の巨人という神話』という本が新しく出ていた。人に語りたいことがあるんだなと思った。

 

今つらいことも、10年後には大丈夫になってるはずだ。でも、学生時代に7年間先輩を好きでい続けてた期間がつらすぎたので、またあれを繰り返すのかと思うとつらいなあ。届かないメール、鳴らないチャイム、相手を傷つけないようにわたしだけがみんなと疎遠になる。わたしに残るのは物語だけだ。本が、映画が、アニメが、漫画が、好きでよかった。

 

気持がべとべとしてきもかったから帰宅後即風呂した。風呂上がり後はコーヒーギューニュー飲んだ。

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わしが育てた(泡風呂)